上原 哲郎(ウエハラ テツロウ)
イントロダクション
上原哲郎 ― 激動の時代を生き抜き、“人生を守るお金の知恵”を伝え続けるフィナンシャルプランナー
日本のフィナンシャルプランナーという職業が、まだ世の中にほとんど知られていなかった時代。
一人の男が、誰よりも早く「お金と人生の設計」という未知の世界に足を踏み入れた。
その男の名は 上原哲郎。
1984年。
バブル経済の熱気が日本を包み込んでいた頃、上原は外資系生命保険会社であるアリコ・ジャパンにてフィナンシャルプランナーとしての人生をスタートさせる。当時、保険営業といえば商品を売ることが中心の時代。しかし彼は違った。
「お客様の人生そのものを設計する」
その発想は当時としては革新的であり、今では当たり前となった外資系保険マンの営業スタイルの原型ともいえるものだった。
その情熱と実力はすぐに結果として現れる。
わずか数年で世界規模の表彰である World Wide VIP Agency を3年連続受賞。
修正成績161億円という驚異的な数字を叩き出し、業界でも名を知られる存在となる。
そして1989年。
日本の金融史に残る新しい挑戦が始まる。
東京・表参道。
日本で初めてとなる「フィナンシャルプランナー専門会社」の設立に参画したのだ。
会計事務所や大手銀行の個人財務室などから富裕層の顧客を紹介され、相続税対策や節税対策を中心とした “フィナンシャルエンジニア” として活躍。
資産を守り、次世代へ繋ぐための戦略を設計するプロフェッショナルとして、多くの顧客から信頼を集めていった。
しかし、人生は常に順風満帆ではない。
1990年。
バブル経済が崩壊する。
右肩上がりだった日本経済は急降下し、金融の世界も大きく揺らぎ始めた。
1993年、ついには役員報酬がゼロに。
資産を切り崩しながら生活する日々が始まる。
それでも上原は諦めなかった。
日本が超低金利の時代へ突入する中、1996年にはいち早く海外金融機関の活用に目を向け、オフショア金融の紹介を開始。
もしこの時、海外に資産を移していなかったら今の自分はなかったかもしれない——そう語るほど、人生を左右する決断だった。
その後、顧問先企業からの要請で営業推進本部長として経営再建に挑み、3年かけて事業部を黒字化。
だが2001年、今度は顧問先の親会社が倒産。
再び収入がゼロになるという試練が襲う。
何度も訪れる人生の谷。
しかしそのたびに、彼は立ち上がり続けた。
2002年。
「自分の人生は他人に委ねてはいけない」
その強い決意から アクティブジェネレーション株式会社 を設立。
完全独立のフィナンシャルプランナーとして、新たな道を歩み始めた。
軌道に乗るまでの道のりは決して平坦ではなかった。
だが気がつけば、独立して23年。
激動の時代を生き抜きながら、彼は一貫して「人の人生を守る仕事」を続けてきたのである。
2015年には
『21世紀を生き抜くための4つの能力』を出版。
金融知識だけでなく、これからの時代を生き抜くための思考を多くの人に伝えた。
そして2021年。
長年活動した東京を離れ、郷里である香川県高松市へUターン。
都会の最前線で培った知識と経験を、今度は地方から日本中へと届けている。
しかしUターン直後、彼はコロナに罹患し、救急搬送され集中治療室へ・・・
救急車の中での血液酸素飽和度は70%を切る重篤な肺炎状態。
3日間昏睡状態であったが奇跡的に生還。
その後2ヶ月の入院生活が続き、退院。
退院時、医者から告げられた言葉は「香川県のコロナ重症患者の中で唯一助かったのは上原さんだけですよ。」
しかしコロナによる肺炎により肺の4分の1程度は細胞が死滅してしまった。
「この肺炎は難病指定の肺炎なので現代医学では治療困難なので一生酸素吸入機が必要です」と宣告される。
自宅には大きな酸素吸入機が運び込まれ、30mものチューブを付け、風呂に入る時も酸素吸入機は外せない。
そして外出時には酸素ボンベキャリーカートを引っ張る生活が始まった。
その酸素ボンベも2時間しか持たない。
これでは仕事が出来ない。
これがきっかけとなり、真剣に株式投資の勉強を始めることになる。
2024年から「資金ゼロから5年以内に『億』を目指す投資家育成クラブ」に参加し、現在はトレーナーとして活躍している。
株式投資を始めて3年。投資金額は2倍以上に膨らんできた。
「億り人」への階段を順調に歩んでいる。
そして「難病指定の肺炎で現代医学では治せない」と医者に宣告されたことを受け、現代医学で治せなくても治せる方法はあるはずだと情報収集が始まる。
ここで「サプリメント管理士」の資格を取得した知識が大きく役立った。
様々な手法を駆使して、なんと!半年後には酸素ボンベを外した生活ができるようになったのだ!
主治医は「この肺炎がここまで改善した例は聞いたことがない。上原さんの基礎的生命力なんでしょうね」と言われ、驚愕された。
まあ、酸素ボンベ無しの生活はできているが、肺が大きなダメージを負っていることには変わりは無い。
大好きなゴルフをするのも息が切れて大変な状況。
ホノルルマラソンに毎年出場していたが、マラソンはおろかジョギングすらできる状況ではない。
しかし彼は不屈の精神で、肺細胞の再生に挑戦をし続けている。
彼の夢はとてもシンプルだ。
「一人でも多くの人の老後不安をなくすこと。」
人生100年時代。
年金不安、物価上昇、資産形成の悩み——。
多くの人が将来に不安を抱える現代において、上原哲郎は言う。
「お金の問題は、正しい知識で必ず解決できる」
国内だけではなく、海外運用や投資教育まで幅広くサポートしながら、これまで数多くの人の人生を支えてきた。
山あり谷ありの人生。
成功も、挫折も、すべてを経験してきたからこそ語れる言葉がある。
その言葉には、机上の理論ではない「生きた知恵」がある。
人生を守るためのお金。
未来を安心して生きるための知識。
それを伝えるために、上原哲郎は今日も人々の相談に耳を傾けている。
静かに、しかし確かな情熱を胸に。
誰かの人生の不安を希望に変えるために。
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このページを編集するプロフィール
| 名前 | 上原 哲郎 |
|---|---|
| 所在地 | 香川県 |
| 生年月日 | 1957.1.13 |
| 血液型 | A型 |
| 経歴 | 1984年 アリコ・ジャパンにてFP保険営業をスタート 1988年 三年連続世界一 World Wide VIP Agency 受賞 (平成2年度 修正成績(修S)161億円を達成) 1989年 日本初のフィナンシャルプランナー専門会社(東京・表参道)の設立に参画 相続税対策・節税対策のフィナンシャルエンジニアとして活躍 1990年 日本FP協会がAFP資格のライセンスを開始する 1996年 金融ビッグバン・スタートにより、オフショアの金融機関の紹介をスタート 2002年 アクティブジェネレーション株式会社を設立 完全独立ファイナンシャル・プランナーとして活動 2015年 「21世紀を生き抜くための4つの能力」(kindle)出版 https://x.gd/SJ6ft 2021年 郷里の香川県高松市にUターン移住 と、表向きは立派なのですが実際は山あり谷ありの人生です 1984年 アリコ・ジャパンにてFP保険営業をスタート 時はバブル真っ最中 節税保険が飛ぶように売れた 1988年 三年連続世界一 World Wide VIP Agency 受賞 1989年 日本初のフィナンシャルプランナー専門会社(東京・表参道)の設立に参画 相続性対策、節税対策専門のフィナンシャルエンジニアとして活躍 1990年 バブル崩壊がスタート、業績は順調に右肩さがり 1993年 役員報酬はゼロに… 資産取り崩し生活がスタート 1996年 オフショアの金融機関の紹介をスタート 日本は超低金利。残りの財産を高金利の海外へ… この時に財産を海外に移していなかったら、今はなかったかも・・・ 1997年 顧問先から請われて、営業推進本部長として着任 3年かけて事業部を黒字転換させた 2001年 顧問先の親会社が倒産 収入がまたまた1年間ゼロに… 2002年 アクティブジェネレーション株式会社を設立 山あり谷ありの激動の時代を生きて、 自分の人生は他人に委ねられないと自覚をし、起業 軌道に乗るまでは大変だったが気がつけば23年が経過 2021年 郷里の香川県高松市にUターン移住 2023年 キッズマネースクール公認講師となる 高松市教育委員会の後援をえてキッズマネースクールを開催中 2024年 「資金ゼロから5年以内に『億』を目指す投資家育成クラブ」に参加 2025年に都レーナを拝命する |
| 資格・スキル | トータルライフプランナー 海外積立アドバイザー キッズマネースクール・ゴールド講師 投資家育成クラブトレーナー 救急救命士 サプリメント管理士 |
| 趣味 | ゴルフ ドライブ 旅行 ホノルルマラソン ヨット など 一番の趣味はゴルフ 麻布ゴルフ倶楽部 主宰 麻布ゴルフ倶楽部【AGC(AzabuGolfClub)】は1975年に設立された元祖パーティーサークルの「麻布倶楽部」のシーズンスポーツ部門のゴルフ部が独立して1994年に設立された、非営利目的のゴルフサークルです。 2001年~2005年はexciteのゴルフサークル部門で、5年連続全国で人気No.1に輝きました。 設立以来、32年目になります。 私主催のゴルフコンペは100回を数えました。 ゴルフサークルとして30年以上運営を続けているサークルはおそらく珍しいのではないかと思います。 現在は東京を離れましたので後進のメンバーに運営を任せていますが、私が東京に行く時は懇親会を開催してくれています。 https://www.facebook.com/groups/274412559284477 ゴルフを始めたきっかけ アリコ時代、フィナンシャルプランナー専門会社時代 業務提携先の税理士、会計士、銀行の支店長・課長などから執拗にゴルフォを誘われたが 「腹の出た親父ができる様なものはスポーツじゃない」と思っていたし 「あの絶望的なゴルフファッション」は最悪に感じていたし、 そして当時はバブルで1ラウンドするだけでも何万円か必要・・・ とてもやる気にはならなかった。 しかし、どうしても誘いを断りきれず、初めて税理士とラウンドしたら 初心者にとってはとても難しくて、ボールはまっすぐに飛ばないどころか空振りも・・・ 打っては走り、打っては走りで初心屋にとってはまさに「スポーツ」でした。 「これはなんとかしないといけないなぁ・・・」と思っていましたが 周りを見渡すとゴルフをやるのはオヤジばかり・・・ せっかくなら同じような年齢の人たち、そして女性たちとも楽しめると 練習するモチベーションが上がるなぁ・・・と思い、 全くの初心者で麻布ゴルフ倶楽部を立ち上げました。 そして情報誌に会員募集の無料広告を掲載し続け、メンバーを集めました。 そうするとその広告を見た、宇野喜一郎氏(故人)という方が 「君たちが真剣にゴルフを覚えようとしているなら教えてあげてもいいよ」という連絡をいただきました。 当時、宇野喜一郎氏は玉造ゴルフクラブのクラブチャンピオンでした。 「僕にはゴルフしかないし、このゴルフの技術を棺桶に持ってはいけないから、真面目に習いたいという人には僕の技術を伝授したいんだよね。」 ということで毎週、練習会に来て、無料で私たちにコーチを続けてくれました。 そしてお仲間のゴルフ仲間の人たちもちょくちょく練習会に参加してコーチをしてくれました。そのおかげで、レッスンプロは決して教えない「本当のゴルフ理論」を最短距離でお教えいただけました。このベースがあったので、初心者の方が早く上達できる土壌ができたのだと思います。 宇野喜一郎氏(故人)無くしては麻布ゴルフ倶楽部の発展はなかったと思います。 麻布ゴルフ倶楽部をスタートさせた時は、経済的にもどん底でとても厳しい状況下でしたが、そんな中でもゴルフができたことで、仕事にも張り合いが持てたのかもしれません。 |
| 夢 | 一人でも多くの人の老後不安解消に貢献したい |
| PR | 完全独立のフィナンシャルプランナーなので、中立的な立場から顧客アドバイスができるのが強み。 特に海外積立(オフショア)の経験が豊富なので、国内だけでなく、海外運用のアドバイスもできる。 投資家育成クラブのトレーナーを拝命しているので、投資初心者の方に適切なアドバイスを行うこともできる。 |
ビジネス
| 会社名(屋号・グループ名) | アクティブジェネレーション株式会社 |
|---|---|
| 役職名 | 代表取締役 |
| 住所① | 〒760-0080 香川県高松市木太町1561-6 |
| 住所② | |
| 事業概要 | フィナンシャルプランニング全般 保険の見直し 通信費の見直し 水道光熱費の見直し オフショア資産運用アドバイス 株式運用投資アドバイス など |
コンタクト
| 電話番号 | 087-802-3390 |
|---|---|
| 携帯番号① | 090-3263-6524 |
| メールアドレス① | agc.uehara@gmail.com |
| メールアドレス② | AND58838@nifty.com |
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